お待たせ致しました
ようやく、1億2千万人による「希望」の萌芽を世に送り出す準備が整いました。
梅田望夫さんの『シリコンバレーから将棋を観る』の'英訳'が一般公開されました。
第二ステージが始まります。
1.Yoshiharu Habu and Modern Shogi
http://modernshogi.pbworks.com/
本文。形式はPBwiki。
6日間で英訳された下訳がすべてご覧いただけます。
敲き台というより「敲かれ台」
登録すると誰でも直接、翻訳作業ができます。
2.Let's Brushup 『シリコンバレーから将棋を観る』 English version!
http://modern-shogi.g.hatena.ne.jp/
ディスカッション。形式ははてなグループ。
翻訳のダメだし大歓迎です。ここはWikipedia「ノート」に相当する場所です。
(id:Moto_Mが先に発表してくれたので、同じ文章をそっくり載せちゃいました。公開方法について、こうしたほうがいいのではというのがありましたらアドバイスください!)
やっぱ思ったとおりしょぼい訳だなと感じてもらったり、ぁ意外にちゃんと訳せてるじゃんと感じてもらったり。そんな一人ひとりの想いがこのプロジェクト新たな高みに持っていってくれると思っています。特に、ひっでーなと思った人、じゃんじゃん修正しちゃってください!
話はちょっと変わって、「本」とは何かについて。
またまたid:takuya514にインスピレートされたことなのですが、このプロジェクト、「本」の概念すらをも変えてしまう可能性を持っているのではないかなと。本は最初の一文字から最後の一文字まで首尾一貫したもの・流れのあるものであるというのが、常識的な考えでしょう。ただ、本当にその一貫性は必須条件なのか。確かに文学作品はその"流れ"が何よりも重要な要素なのかもしれない。でも、とにかく情報を広める・触れてもらうというのが第一義の本であれば、そこまで流れに固執する必要はないのかもしれない。全体を通してみたらちょっと歪な感じはしなくもないけど、でも論点はちゃんと伝わってくる。そんな本があってもいいんじゃないかなと思います。今は何かを調べるときにはgoogleで検索して、いろんなサイトから情報を集めて自分の頭の中で体系化しますよね。そんな情報の寄せ集めみたいな本があってもいいのではないでしょうか。この「本」は、昨日書いたように、
例えばこの翻訳を読んでくれたアメリカ人将棋ファンが、「ここは棋譜を見るだけだとわかりにくいから、オレが実際に解説を口頭で説明したものを録画して、Youtubeにアップするから、翻訳にリンクをつけておいてよ」とか、羽生さんに興味を持ってくれた人がWikipedia.comの羽生さんの項目を大幅加筆してくれたりだとか、もっと強いコンピューター将棋を作ってやろうとするインド人が出てきたりとか、もっともっと今の段階では想定不可能なことなことが次から次へと起こって
くれることを期待しているのです。"流れ"など全くない、"歪"な箇所だらけの「本」、そんなものに発展したらなぁと期待を膨らませながら、推移を見守っていこうと思います。